想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

桜が咲く季節、「日本人で良かった」と近年素直に思えなくなってきた理由

 

桜が各地で咲き始めて、薄いピンクの可愛らしい、だけど満開になるとゴージャスな美しい姿に、毎年感嘆のため息。

 

 

「ああ、日本人で良かった」

 

 

・・・と、なんだか素直に言えなくなったのは、ここ近年特に、であるように思います。

 

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私がブログを書き始めたのは、遡れば2004年頃。

 

当時は自民党本部に勤めていたのですが、文章を書く練習を兼ねて、機関紙記者として党の公式見解の記事を書きながら、個人的に思うことはいっぱいありましたし、「劇場型政治」といわれた小泉政権だったので、日々面白いネタには事欠かず、「今日はこんなことがあったよ!」「新聞に載った発言の全文は、こうだよ!」と、広報の仕事の傍ら、無邪気に発信していました。

 

ブログを始めるとき、「さくら」という名前を選んだのはなぜかというと、「日本の国花って何だろう?」と調べたら、桜だったから。我ながら、なかなか愛国的な理由であったのですよね。

 

というのも、アメリカ留学から帰ってきて、自民党という超保守的な「オッサン社会」に飛び込み、“逆カルチャーショック”に苦しんでいた私は、日本という国を、歴史と伝統を好きになろうと、一生懸命だったのです。

 

アメリカでの2年半、東部ペンシルベニア州の超白人社会の小さな町で過ごしたため、人種差別も結構痛感していたこともあり、日本を出る前は、自分が何者であるかというアイデンティティにおいては「日本人である」ということはあまり自分の中では大きくなかったけど、異国の地では、自分が日本人、そしてAsian=アジア人であるということを意識せざるを得なかった。

 

町の人口の、そして大学の生徒も9割が白人という環境では、自分はAsianであり、またほとんどAlien(エイリアン、部外者)のような気がしていました。どこへ行っても、もの珍し気な視線を向けられたり、国際政治専攻だったので、「戦争とプロパガンダ」をテーマにした授業では、唯一のアジア人(しかも日本人)として、第二次世界大戦で「鬼畜米英」「イエローモンキー」等々の枢軸国vs連合国のプロパガンダ合戦に関する議論で、白人学生たちにひと言も言い返せなかった悔しさ。そんな経験もあって、自民党で働き始めた頃の私は、いまよりもずっと保守的でした。

 

いま思えば、私は完全に「適応障害」を起こしていて、本質的に合わない職場環境(超オッサン社会)に合わせようと、必死であったなあとも思いますが、それでも私は左翼と呼ばれる人たちのように過去の過ちを理由に日本人であることを自虐的に思ったこともなかったし、だからと言って右翼と呼ばれる人たちのように「日本はすごいんだ」と過剰に誇りに思うこともない、ごく普通の“愛国心”を持っていると思っていました。

 

↓「非国民」と言われるのは、非常に辛かったです

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思い返してみても、2000年代の自民党職員だった頃の私は、思想的には、“自民党内の保守vsリベラルのウイングの範囲内”において、右寄りに位置づけられる感じでした。現在の安倍政権を熱狂的に支持するような人たちは、一部の人たちを除いて“キワモノ”扱いでしたし、そういう思想の議員および支持層双方とも、「あまり知的ではない人々」という共通認識が、当事者たちを除いてはあったように思います。

 

第一次安倍政権のときは、いまほどイデオロギー色は強くなかった。とはいえ、“過激な性教育”と“ジェンダーフリー”教育に危機感を持つ、一部の保守強硬派議員たちで構成するプロジェクトチームの取材を担当したときに、初めて“異様さ”を感じました。

 

小学校の体育の着替えで男女同室にするだとか、子どもにそこまであからさまな表現で教えるのかと思うような性教育の授業について、確かに「行き過ぎだな」と感じる面はある一方、このPTの主要メンバーは「反日教組」を思想の核とする、極めて“保守イデオロギー”色の濃い考え方で、取材を重ねるごとに、私はものすごく“引いて”いくのを感じていました。記事を書くのにも、“極端な思想”の部分は差し引き、問題点を絞ってできるだけ客観的な表現を使って、できるだけマイルドに仕上げたのですが、書きながら違和感は拭えませんでした。

 

当時の私=自民党職員的感覚では、この種の“保守強硬感”あふれる議題というのは、党の公式な部会ではなく、“議連マター”という相場観があり、機関紙記者としては、党の公式な会議を取材して記事を書くのが仕事なので、本来こういう“極端な”議論は、同好の士が集う議員連盟や勉強会で扱うテーマだろうなあというのが正直な感想だったのですが、「ついにこういうのが党の公式な会議で議論されるようになったのか」と、変な感慨があったものです。

 

ただ当時は、本当に一部の人たちがキーキー騒いでいるだけで、「反日教組」の様相を呈した集会も党本部で開かれたのですが、集まっている人たちも異様な雰囲気ではあったものの、当人たちの満足感とは逆に、党内的には“キワモノ”感を強めただけで、「せっかく問題意識には正しい部分も含まれているのに、極論に走り過ぎてポシャってしまう」という残念な結果に終わりました。

 

第一次安倍政権を引き継いだのは福田政権だったので、「衆参ねじれ国会」で国会運営は苦労したものの、知性と良識の福田政権下では、この種の人たちが表に出てくることもなく、党内に平和が戻ったことは喜ばしいことでしたし、福田政権の考え方には共鳴していたので、広報ウーマンとしての情熱も戻り、仕事は楽しかった。ただ当時の民主党が小沢代表で、絶対に折り合わなかったので、与野党対立が無駄に激化するだけで、本当に不毛な政治状況だったのが残念でした。

 

あの「衆参ねじれ」下の国会で、対話を拒否し、議論にならない議会政治にも絶望感がありましたが、現在の絶対多数与党の国会運営の方が、より深刻な機能不全に陥っている気がします。

 

佐川前国税庁長官の証人喚問が終わったあと、テレビのインタビューで「これだけ時間を取って議論をしたのに、何も出てこなかった野党の責任」はどうなんだと某野党党首が非難されているのには、ものすごく驚きました。野党の仕事は政権を倒すこと、批判することなので、的外れな批判であれば問題ですが、実際に公文書が改竄されていたということが出てきただけでも、私はなかなか頑張ったんじゃないかなあと思いますし、野党に「現実的な対案」や「実績」を求める風潮は、これはいつから始まったんだろうと、不思議に思うのを通り越して、直感的に「怖いな」と感じたことでした。

 

ああいう“極端な”思想の持ち主たちは、自民党の歴史において決して主流には成りえない存在だったのに、現政権が5年も続く間に、すっかり自民党内の勢力図が塗り替わっていることを実感しています。

 

思い返せば野党時代、通常なら「敬して遠ざける」はずのいわゆる“ネトウヨ”と言われるような人たちが、党本部で会合を開き、“普通に”出入りするようになった。個人的には異様に感じていましたけど、当時は谷垣総裁だったので、思想的にはバランスが保たれていたというか。

 

しかし2012年、まさかの安倍総裁再登板により、この“キワモノ”扱いだった人たちが、よもやここまで影響力を持つようになるとは、そして自民党内の良識派勢力が風前の灯であることに、茫然とします。

 

ああいう人たちが跋扈することで、また思想的には真逆の反対の人たちも勢いづいていますが、左右の方向の違いはあれ、“極端さ”においては私には本質的には同じに見えます。

 

左右双方の極論の間、“somewhere in between”で良識を働かせて折り合うという政治の美しさが機能するためには、やはり寛容と忍耐、知性が必須だと思うのですが、「9条改正」にしても、2項を削除したら戦争になるだとか、2項を維持してでもとにかく憲法改正ができればいいとか、ものすごく論理的に矛盾した左右双方の声が大きすぎて、実際的な議論の深まりが起こらないのも怖いと思う。

 

たまたま「日本人」に生まれただけで、自尊心の低さの反動で愛国心に走っている人たちが増殖するにつれて、私は「日本人で良かったな」という素朴な感情が湧くことが嫌になり、「国民意識」というものが自分の中からいよいよ薄れているのを感じています。

 

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昔は「絶対あり得ない」と思っていた“お花畑思想”の「地球市民」の意識に自分がなるとは、という感じですが、ああいう“ネトウヨ”の皆さんが“国”を愛すれば愛するほど、私のように醒めていく人も増えていくのであれば、彼らの存在も、大きな全体図の中においては役に立っているといえるのかもしれません。