想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

「発達障害啓発週間」にあたり、アスペルガーさくらが考える寛容でロジカルな世界

 

4月2日はWorld Autism Awareness Day、そして日本では今週が発達障害啓発週間。

 

ということでここ徳島県では、県のマスコットキャラクター「すだちくん」が啓発活動を可愛らしく盛り上げてくれています。

 

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ちなみに「すだちくん」は昨今出現した“ゆるキャラ”よりずっと歴史が長く、平成5年の東四国国体でデビュー。以来、各種季節のイベントから、映画「バルトの楽園」(ヒゲをたくわえてタクトを振っている)や工事現場のサイン(ヘルメットをかぶって安全第一を呼びかけ)に至るまで、県内どこに行ってもこの笑顔に出会えます。

 

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それだけ徳島県民に愛されている証左なのですが、何にでもなれる「すだちくん」は、その柔軟性と芸達者ぶりをいかんなく発揮し、発達障害分野に関しても、ハナミズキを手に愛嬌を振りまき、深刻になりがちなこの種の啓発活動に心和む癒しを添えてくれる存在として、大活躍。

 

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なぜ「すだちくん」がハナミズキを手にしているのかというと、徳島県発達障害支援センター「ハナミズキ」の名前にちなんで。「知ることは、愛すること」というのは、昨年このハナミズキが募集した、「ブルーすだちくん」のキャッチフレーズに決まったもの。

 

ブルーはASD(Autism Spectrum Disorder=自閉症スペクトラム障害)のシンボルカラーで、ホワイトハウスもWorld Autism Awareness Dayの夜、ブルーにライトアップされていました。

 

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 トランプ大統領の思想と言動にはびっくりさせられることが多いですが、このブルーホワイトハウスは美しいです

 

 

 

「知ることは、愛すること。」というのは、とても素敵なキャッチコピーだと私は思うのです。

 

私さくらは、自分がアスペルガーだとは夢にも思わぬまま40数年の人生を過ごし、友人の指摘でセルフチェックテストをネットでやってみたら、何回やってもハイスコアが出た。

 

このときは、「みんなこんなもんだろう」とパソコンを閉じて「なかったこと」にしていたのですが、しかし不安に駆られるとパニックになる自分自身が手に負えず、何とかしたいと思って訪ねたのがこの「ハナミズキ」(徳島県発達障害総合支援センター)でした。

 

「知ること=事実に直面する」のが恐ろしかったのは、「アスペルガーは治らない」と書いてあったから。しかし勇気を出してご相談に伺い、良い担当者の方に恵まれ、薄々自分でもおかしいと思っていたことすべての謎が解け、文字通り、世界がひっくり返るような感じでした。

 

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アスペルガーであるがゆえに、そしてそれが分からなかったばかりに、適応障害を起こすまで一生懸命頑張って、ついにはPTSDまで引き起こしてしまった私の経験から、知ることは怖いことではなく、逆に自分を受入れ、愛することができるようになると心から実感しています。

 

自分の脳の特性を知ることで、自分がどういう人間関係や環境を避けた方がいいか、そして文字通り特異な=得意なことを活かして生きればいいと、「周りに合わせることができない」ということで無駄に思い悩まず、また自尊心を傷つけることがなくなるから。

 

周りに合わせられない自分が悪いわけでもなく、また自分に合わない周りが悪いわけでもなく、単にその「違い」をすり合わせることができなかったというだけ。

 

日本社会においては特に「多数派(→“みんな”)」や「世間の常識」への同調圧力が強すぎて、ちょっとでも違うことをすると寄ってたかって“矯正”させにかかりますが、その努力の方向性を“矯正”ではなく“共生”へと変えることで、お互いにとってずっと過ごしやすい世界に変わると思うのです。

 

もう少し、お互いの「違い」を尊重する方向で合意できれば、「合わせよう」として心が壊れる思いをする人も(本人)、「なぜ合わせられないんだ」と怒り狂ってストレスになる人も(周り)減るのだから、本人は「自分はこういう特性があるんだ」と自分の特性を理解すること、そして周りは「この人は、こういう人なんだな」と理解して接することで、被害者になるのではなく(本人)、敵意を向けるのではなく(周り)、思いやりのある社会になると思うのです。

 

「なぜ合わせないんだ」と怒られるとき、「なんでそんなことやらないといけないんだ」とこっちは思っているわけです。

 

「みんながやってるから」「こういうルールだから」というのでは、アスペルガーは決して納得しない。その理由が論理的で合理的であれば、素直に言うことを聞き、また「この人は正しいことを言っている」と尊敬の念を持つことができるのですが、単に年齢が上だからとか、「もうずっとこうやってきたんだから」とか「そんなことをしているのは君だけだ」とかいくら言われても、それは論理的な説明ではないから、理解できない。

 

理解できなければ納得することはできないし、納得しなけれれば絶対動かないから、「あいつは言うことをきかない」となる。学校や組織においては、“秩序”を乱す問題児でしかありません。

 

「ずっとこうやってきた」ことが正しいのだ、と言うならば、そのルールや前例を疑いもせず、なぜその慣習が素晴らしいのか、具体的に実証もされないままに、「みんながやってるから」ということを押し付けてこられても、「それは論理的ではないから、納得できない」だけなのです。

 

日本社会の縮図たる超オッサン社会の永田町で、私が素直に言うことを聞くことができたのは、政治家では伊吹文明衆議院議長(校長)と石破茂元幹事長(教授)のふたりだけでした。1から100まで丁寧に“ご指導”してくださる伊吹校長も、どんなしょうもない質問でも「それはね」とトコトン論理的に解説してくださる石破教授も、常に論理が一貫性していて、ブレることがない。こういうロジカルな人たちは、アスペルガーにとっては最も安心でき、信頼できるのです。

 

いちばん腹が立つのは、「このあいだ言ってたことと矛盾している!!!」なので、筋が違うことを通してしまわれたり、その時々の情勢に応じて指示が変わったりするのが(正確には変えてしまえるその融通無碍な人間が)許せない。

 

こだわりが強く出るのはこういうところであり、また嘘が嫌いなので、「適当に合わせる」ということもできない。作り笑いでさえ、厳密にいえば嘘をついていることになるから。こういう自分は、自分でも分かっているけど本当に「生きずらい」半生でした。

  

周りに受け入れられるため、一生懸命自分を変えようとしていた私は、「自分はこのままではいけないんだ」とずっと思っていた。それが自分をいかに傷つけてきたかを思うと、早めに気付くことで、「そもそもこれで良かったんだ」と自分を受け入れることで安心感が生まれ、人生に喜びを取り戻すことができる。

 

それまでは罰ゲームみたいな人生でしたから、セルフチェックテストでハイスコアが出るのは、私を救ってくれた「ハナミズキ」のご担当者の方いわく「普通の人はそんなスコアは出ない」そうなので、ひそかに「自分もそうなのでは」と思って不安になっている人たちには、潔く受け入れた方がずっと人生が楽になりますよと、心から言いたいです。

 

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私はアスペルガーであることは特に恥ずかしいこととは思っていないのですが、ADSを持って生まれたことを「私は宇宙人だから」(本人の場合)とか、「この子は“光の戦士”だから」(子どもがそうである場合)と、自分の自尊心のバランスが低い方へ振れているのの反動で、妙な特別意識(選民意識)となってしまっているのは残念なことだと思います。

 

自分の劣等感を埋め合わせるため、また自分を受け入れてもらえない社会への反発から、自分(あるいは自分の子ども)が特別だと感じることで、現世のいたたまれなさから逃れようとしているというのは、右においてはいわゆる「ネトウヨ」といわれる方々の愛国心、左においてはいわゆる「絶対平和」を掲げる方々による世の中への不満をコーティングした“平和の絶叫”と相通じるものがあると感じます。

 

そういう極端に走る人たちは非常に不安定で、常に“異論”がないか周りを見張って攻撃していて、論理に欠いた感情論で動いているだけなので、バランスが悪くて美しくないと私は感じる。感情論も、論理を愛するアスペルガーは最も嫌いなので、極論と極論のあいだにある現実的な共存の解決策を導き出すための話がしたいし、そんな意見が聞きたいと思うのです。

 

必要なのは、世の中全般においては思いやり、政治においては論理的な議論。違いを尊重しながら、お互い平和に共存するためにはどうすればいいか、知恵を絞ることに方向性を切り替えるべきだと思うのです。

 

社会や政治を変えるのに、どっちも1円もかからないのだから、「予算がないからできない」という言い訳は使えないと思うけど、人間の中にどれだけ愛と知性があるかにかかってくる。

 

極端な意見を持つ人たちが自分の正義を押し付けてるのがうっとおしいからと言って、あるいはいちいち考えるのはめんどくさいからと、その中間の良識的な人たちが議論もせず、行動しないでいては、結局は活発に動いている変な人たちの思うつぼになってしまう。

 

感情論では動かない、論理的で合理的な脳の特性を持つアスペルガーの知性と頑固さを活かすのは、こういうところかもしれない。たしかにちょっと変なところはあるけど、言っていることは筋が通っているという、健全な自尊心を基盤に揺るぎない発信をする、愛すべきアスペルガーでありたい。

 

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スナフキンの、この名言のとおり、異なる価値観に対する寛容さがベースにある世界となるように。