想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

「真実は癒す力がある」(カリー司教):論理的な矛盾は、真実に基づいた論理的な説明でしか納得できない。

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 (From "I Want Something Just Like This" by The Chainsmokers & Coldplay)

 

 

雲ひとつない青空の美しさと、暗雲垂れ込める地上世界のギャップに付いていけないさくらです。

 

加計学園をめぐり、また愛媛県から新たな文書が提出され、「で、本当のところは一体どういうことで、何が問題なのかを知りたい」という素朴な疑問に加え、

 

「本当は会っていたしそのことについても知っていたんだけど、表向き無関係を貫いていた」というのは、決して無邪気にやっていたわけじゃなく、確信犯だった(本来はやってはいけないことだと知っていた)ということなんじゃないか、ということを逆に証明してしまったのではないかという印象です。

 

「いよいよ安倍退陣か??」と期待が高まるたび、その希望が打ち砕かれるのが嫌で政治を見ないようにしていた、というのは、毎年「今年こそはいけるかも」と思いながら結局ダメ虎でがっかりするから阪神の試合を見ないようにしているのと同じ心理な気がしますが、

 

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彼(現総理)に対する私の怒りというのは、そもそも2007年参院選、さらには2006年に総理総裁就任直後、「郵政造反組」を復党させ、2005年の郵政選挙から1年足らずで“お友達”を呼び戻すという、筋の通らないことをして内閣支持率が急落、というところに遡るのです。(個人的な失望は、幹事長代理時代にまで遡るのですが、これはまた別途)。

 

常に「私」が「公」に優先する彼の政治姿勢は、まったく変わっていないどころか、さらに強化されてきたのですね。恐らく“無念の退陣”後からずっと、自分のプライドを立て直す過程で、何の反省もしていなかった証左ではないかと思う。

 

思い出すだけで腸が煮えくり返るので、あまり振り返りたくなかったのですが、歴史的大惨敗を喫した2007年参院選の安倍総裁第一声@秋葉原(さくら個人メモ)を読み返してみると、「“私の戦い”が始まった」という一言に、機関紙記者として、内心ムカつきながら記事を書いたときの憤怒がよみがえってきました。

 

そもそも2007年の参院選は、「私を選ぶか小沢さんを選ぶかの戦い」と自ら位置付けておきながら、“私の戦い”でいかなる言い訳のしようもないくらい大惨敗を喫してなお、開票速報が始まって1時間後くらい(9時過ぎ)に「安倍総理、続投へ」とテロップが流れて、憤死寸前になったこともまた思い出されます。

 

先日「怒りの解放ワークショップ」を開催したのですが、たぶん私が人生でいちばんしつこく怒り続けているのは、現政権がこれほど長く続いてしまっていることだと思います。プライベートなことは、それなりに気持ちの決着はつけてきたのですが、仕事面では、どうしても納得がいかない。

 

私の“怒りポイント(沸点)”は、「筋の通らないこと」なので、例えば2005年の郵政選挙で“造反組”の復党を許可するなら、それは2006年にやるのではなく、もう一度総選挙を経てからにすればよかった。2007年の参院選で、最初から辞める気がないなら、「私を選ぶか、小沢さんを選ぶか」なんか言わなきゃ良かった。

 

「選挙の信任」という意味では、2005年の総選挙は小泉さんによる解散で、有権者にの信任は小泉さんに対してなので、安倍総理(総裁)は小泉さんの自民党総裁の残り任期を引き継ぎ、自民党の党内事情によって選ばれた人物に過ぎません。だからいずれかの時点で「選挙の信任」を得る必要があったし、それを待たずにさっさと復党させたのは、その中に大切な“お友達”がいたから。

 

機関紙記者というのは党の公式な立場を説明する記事を書くのが仕事なので、こういう筋の通らないことも、筋が通ったことのように書かないといけない。小泉政権時代は、改革スピリットに共感しまくって書いていたので、こういうストレスはほとんどなかったのですが、安倍政権(第一次)のときは個別の政策に没頭することにより、この種の“筋悪”な事象にはできるだけ感情を動かされないように努めていました。

 

このとき仕事の傍らこっそり運営していたブログ「さくらの永田町通信」では、安倍総理について一切言及しなかった。書くとムカつくし、立場上批判することはできないからだったのですが、「なぜ、小泉さんの後を継いだ安倍さんについて書かないのか」と執拗に言ってくる一部の人たちがいて、それがまたストレスでした。

 

彼らに共通するのは「小泉さんの後を継いで、安倍さんもよくやってるじゃないか」という、非常に“寛大な”見方でした。いちいち「筋」を通さなくてもいい一般の人たちだからそんなふうに感じるのかな、と思っていたのですが、論理の一貫性に強いこだわりがあるアスペルガーさくら(当時はそうとは気付いていませんでしたが)、内心積み重なる憤怒は、いま思えば相当大きかったのだと思います。

 

逆にいえば、それだけ一生懸命仕事をしていたからでもあったのですよね。できるだけ分かりやすく伝えたい、政治の現場を知ってもらいたいと思って、機関紙もブログも記事を書いていたので、そういう理屈の立たないことが起きると、筋の通らない記事にならざるを得ない。言い訳がましい、後味の悪いことは書きたくないし、自分の気持ちに嘘もつきたくなかったので、「触れない」という立場を貫いていた当時の私は、個人的にも政治的にも、自分なりに筋を通そうとするとそうするしかなかったのです。

 

とはいえ我慢していると必ずあとで大噴火するというもので(噴火の度合い=我慢の大きさ×押さえてきた時間)、1年くらいムカムカしながらやってきたので、2007参院選での私の憤怒は頂点に達していました。まさかの総裁(総理)続投が決まり、吐き捨てるような思いで記事を書き殴り、論理的に説明のつかない状況のまま秋の臨時国会を迎え、そして突然の辞意表明という、思い出しても怒りのマグマに着火する一連の出来事は、一生懸命頑張った自民党員ならなおのこと、絶対に忘れないだろうと思っていたのです。

 

なのに2012年、まさかの再登板という悪夢に、私は完全に自分の中で気持ちが切れてしまった。ちょうど議長秘書として出向して、その後しばらくして一旦党に戻りましたが、「もうこれ以上続けるのは無理」だと心底思った。

 

党職員としては、誰が総裁であっても同じようにお仕えすることができる人材であるべきなので、自分の気持ちと折り合いをつけるには、そこを去るしかなかった。心身ともに限界だったし、個人的にも政治的にももう無理だと思い決めることができたのは、そういう筋の通らない政治状況だったからでもある。

 

第二次政権があれから5年半も続くなんて、いまだ信じられない思いがしていますが、役所の皆さんも、自分の職業倫理が揺らいでるんだろうなと思います。彼らが揺るがしているのではなく、真面目にやっている人たちが大切にしていたことを、一部の人たちが踏みにじっているという意味で。

 

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「あらゆる感情はまずきっちりと感じること」の重要性、そのうえでその怒りや悲しみや悔しさの放出の仕方をどうコントロールし、前向きな力として使うかということを私は教えていますが、最後に私に根深く残っているのはこの政治的な怒りであることに気付いた。

 

何かに当たり散らすのもみっともないし、我慢しすぎて精神不安定になるのも良くないし、かといって見て見ぬふりを続けていても、いつまでも現政権は続いている。

 

私は単なる憎しみや感情論を叫びたいわけじゃない。ただ、これまで私がずっと、干支を一周回ってもなお納得できないこれらの疑問に対して、政治的にも政策的にも、根源的に筋の通らない数々のことは、感情ではなくて論理矛盾であり、感情にしても論理にしても、それを解決するには「理解」と「受容」が必要なのは同じ。

 

感情の消化と昇華は、できなくはない。「あのときは、それが自分の精一杯だった」と。しかし論理の未消化は、いつまでたっても気持ちが悪いままで続いている。

 

ハリー王子とメーガンさんの結婚式で“power in love”と“love is the way”を情熱的に説かれたカリー司教が、英国人ジャーナリストのピアーズ・モーガンについてどう思うかを聞かれた答えの中でおっしゃった、“the healing power of the truth”(真実が持つ癒しの力)が心に響いた。

 

<さくら書き起こし>

Oh, he is a wonderful journalist and presenter, always seeking the healing power of the truth.

What you guys, Piers Morgans and others do, as you see, to find the truth, and speak the truth, and help us to see the truth, and helping all of us to see that, to find a better way.

He does that, Gosh, as well not better than any others.

(Bishop Curry, asked what he thinks of Piers Morgan)

   (動画はこちら)

 

 真実には癒しの力がある。私が知りたいのはそれだけだ。本当のことが、知りたい。そして本当のことが分かったら、“better way”へと舵を切りたい。

 

だから書くしかないと思うし、書くことで一時的に憤怒がスッキリするのではなく、論理的にクリアになることで、青空のようにさわやかな気持ちになりたいと思うのです。

 

真実を求め、そのうえで“better way”は何かを議論できる人たちと出会えるといいな、と願いながら。