想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

権力の味を占めた「反知性主義」に屈するわけにはいかない。良識の灯がこの世から消えてしまわぬように。

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この世から良識が絶滅しつつあるのかと感じる政治の状況が続いていますが、日大アメフト部から元監督が永久追放されたように、自民党あるいは国会は現政権が二度出てこれないように奮起してほしいと心の底から真剣に願うほど、無力感に苛まれてしまいます。

 

私は長らく、安倍政権(第一次から現在に至るまで)「なぜ」この人たちはここまで政治的にも人間としても恥ずかしい状況に陥っているのに、自らを省みるどころか開き直れるんだろうと憤っていたのですが、

 

この「なぜ」に対する答えがようやく見つかりました。

 

 

内田樹先生がおっしゃる「反知性主義」に深く納得がいくと同時に、論理を超越した独自の世界観で突っ走れる「反知性的」政権及びその支持者たちの最強度の前に、これはどうやっても勝てないという絶望感もまた深まってしまったのです。 

 

 

海外ドラマ、とりわけNCISなど犯罪ドラマが大好きでいつも観ているのは、あらゆる手がかりから“What's the motive?”(「動機」は何だ?)を辿り、犯人を追い詰めるプロセスがたまらなく面白いのと同時に、

 

この世では踏みにじられることが多い正義が、ドラマの中では果たされて悪はやっつけられるというのを観て、私は心のバランスを取っているのです。

 

もう、ドラマや映画の世界でしか、正義は通用しないんだろうかと思うと、暗澹たる気持ちになりますが、論理的に追い詰めていくことが通用しないなら、いったい何を武器に戦えばいいんだろう? 

 

 

反知性主義の彼らは、魔人ブウ級に強い。そしてその強さの源泉は単なる「無知」ではなく、自分がルールを決め、変更できる権力の力を味を占めているということに、遅まきながら私はようやく気が付いた。

 

 

論理的な議論の場で戦っても、次元が違いすぎて交差し得ない。「互角」であったり、「丁々発止」な議論といのは、議論の前提を共有し、知的誠実さをベースに行われるものだ。そしてそれは、人間にとってそんなに難しいことなのかと、深い悲しみを伴いながら、現実を眺めている。いったいこの光景は、何なんだろうと。

 

それでも、ここで屈してしまっては、彼らの思うつぼだ。

 

ameblo.jp

 

この記事で紹介した映画「エンド・オブ・ホワイトハウス」「エンド・オブ・ロンドン」でマイク・バニングという大統領警護官が奮闘する姿が実に頼もしく感動的なのですが、

 

この映画では、どんなに窮地に陥っても、絶対に卑劣な奴らの思う通りにはさせないという、マイクを始め大統領の強い意志は、あるべき政治家の姿や、公人の命と立場の重みを考えさせられ、

 

 政治の世界で一度は尽きたかに思えた、「この世がより平和な世界に変わっていくために働きたい」という、 私の心に情熱の種火はまだあることに気付いた。

 

 

“We will rise again.”そう、人々の意志の力こそが、何よりも大切なのだと。

 

 

自分で書いた文章に、自分で励まされるのは変な感じだけど、

 

それでも、良識と知性の力を信じて、歩みは止めないでいよう。

 

大好きなキートンさんのお師匠さんが、決してへこたれず、決して屈しなかったように、知性を涵養する楽しさを教え広めていこう。

 

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あたらしい時代は、きっとこの絶望を乗り越えた先にある。

 

だから失望と絶望を、学び現実を変える力に変えていこう。「反知性主義」がどんなに猛威を振るっても、それでもしぶとく賢く生き抜こう。

 

「やさしさ」と「かしこさ」と、良識の灯がこの世から消えてしまわぬように。