想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

総裁選2018:“アグレッシブvsアサーティブ”の対立軸をめぐる、日本人の集合意識の選択。「自由をわれらに」!!

f:id:lovely_cherryblossom:20180912132550j:plain

 

あれほど暑かった夏が遠くなり、涼しい秋風が吹き始めましたですね。

 

アメブロ「美魂的人生道」の方では書いていたものの、こちらのブログの更新がパッタリ止まっていたのは、夏の暑さだけが理由ではないのだけど、落ち着いて思考を深めたいときはこちらのブログで、と当初考えていた「棲み分け(書き分け)」を、今後はより、思考を深めながら書くことに置いていこうと、“リバランス”いたします。

 

というのも、政治のことをアメブロに書くたび、居心地が悪くなるというか、

 

ameblo.jp

 

こういう記事は、私は書いていて非常に楽しいのですが、アメブロ仕様にデコレーションを施すと、せっかく魂こめて書いた文章が、なんだかおさまりが悪くなる。

 

ある程度のボリュームの文章を読みこなしてほしいけど、アメブロの読者層というのはどうもそうではないらしい、というのは薄々気が付いてはいたのだけど、3年ほど続けた惰性で、なんとなくやめられずにいたのですが、

 

より知的な論考を求める思いが強くなるにつれて、Twitterで、その都度思い付いたことをメモのように書き留めておいて、その想いや思考の種を膨らまし、文章というかたちに展開していくのは、読者層の観点からも、このはてなブログの方が確実にいいよねという結論に至りました。

 

さて安倍vs石破の一騎打ちとなった総裁選は、天災対応によりただでさえ少なかった両候補による論戦の機会が、さらに激減されてしまいましたが、3日遅れで行われた立会い演説会での両候補の所見発表を聞いてみても、本当に両者は対照的。

 

 

アサーティブネスコーチとしては、石破候補が掲げた「正直、公正」が安倍候補に対する“個人攻撃”であると批判する勢力に関しては、短期的には無理でも、長期的には絶滅を願わずにはいられません。 

 

 

“自称被害者”というのは、私がお仕えした伊吹校長の「自称弱者」をアレンジしたものですが、勝手に自分(あるいは自分にとって重要な人物))が批判されたと感じて、他人の言動に文句を言ってくる人たちはどこにでもいますが、優しい人ほどそんな反応を気にしてしまうもの。

 

一部の“批判”を考慮して、石破先生も一時この「正直、公正」を大々的に打ち出すのを控えておられましたが、「ああ、先生は優しいなあ」と思いながら、「戦において何を遠慮しているのだ!!断固貫くべし!!」と、戦闘モードにスイッチが入ってしまったくらい、この手の批判にはうんざりなのです。

 

なぜなら石破茂という政治家は、この「正直、公正」そのものの人物であり、石破先生がただ石破先生らしくあるだけで、対立候補の真逆の資質をあらわにするという、広報戦術的にも大変優れたキャッチコピーでもある。

 

「謙虚、丁寧」も、安倍候補も口にしますが、石破候補が同じことばを口にしたときとの響きに宿る真実性は、それは受け取る側の感性によるものであるし、それなら「ロジカル(論理的)、インテリジェント(知性がある)」と打ち出せば、それもまた石破茂をあらわす事実であっても、「エモーショナル、ブレインレス」である対立候補の資質を浮き上がらせ、個人攻撃とヒステリックになる人たちもあぶり出されたかもしれない。

 

相対的にも絶対的にも、両者の資質にこれだけ対照的な違い(落差)があるというのは、単なる事実であり、有権者にとって、選択肢を検討するにあたり、非常に有効な比較だと思いますし、「痛いところを突かれた」と思うたら、自分が正直、公正な人間になる努力をすればいいと思うのですよ。

 

ameblo.jp

 

どこまでも自信のない人たちは、自分の存在を“脅かす”相手を攻撃することで、自分の不安や不満を解消・解決しようとする。美しくない、と私は思いますが、そんな姿を見せることは、本当は弱い人間なのだということを露呈しているということでもあると思うのですが、分かってたらやらないだろうから、いいと(効果がある)と思ってやってるんでしょうね。

 

私には「嘘をつき通す」と映るけど、本人は嘘をついている=自分の言動の矛盾に気が付かない(自分の中で都合よく変換されていく)から、この対立軸は、そもそも前提が共有し得ないのかもしれない。

 

lovely-cherryblossom.hatenablog.com

 

 なので別な対立軸を立ててみると、

  

 

この対立軸において、日本人の集合意識がこの総裁選でどちらを選ぶのかというのはかなり分岐点になると思っているのですが、

 

ameblo.jp

 

「圧政」を倒すために、「義勇軍」の戦いはどうあるべきか。

 

ameblo.jp

  

私の答えは、宇宙政府の内部からも、外からも、両方から立ち上がることだ。

 

 

ドラえもんの名作『のび太の小宇宙小戦争』のように、

 

f:id:lovely_cherryblossom:20180912155718j:plain

 

自由同盟の合言葉:「自由をわれらに」!!!