想いをことばに。さくら色の世界

「まつりごと」つれづれと、日々想うことを綴っています

「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」~“the governed”の矜持

 

ようやく『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書(原題:The Post)』を観てきました!

 

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アメリカはトランプ政権のガタガタ、また日本では森友&加計両学園問題で大揺れというタイムリー感で、アメリカの民主主義の底力と司法の良識、そしてジャーナリストの矜持に大いに感銘を受けました。

 

トム・ハンクスは昔から大好きな俳優で、メリル・ストリープとともに、素晴らしい演技。どんな役柄であっても、「これは演技ではなく、この人は本当にそういう人なんじゃないか」と思わせてくれるのですね。

 

立派な部分だけが強調されるのではなく、エスタブリッシュメントとの“癒着”でもある交友関係など、虚栄心や人間の弱さも、トムとメリルの名演が見る者の良心に問いかけてくる。

 

友達が公人のポジションに就いたなら、その大切な人のpublic service(公への奉仕)を邪魔をしたくなければ、利害関係が発生するならばなおのこと、在任中は離れているのが賢明であると改めて思いましたし、公人の心の支えは家族が一義的には担うべきであり、理想だと思います。

 

とはいえ人間は裏切り、嘘をつき、また完璧ではないから、歴代大統領がfirst pets(mainly dogs)と一緒にホワイトハウスで暮らしているのは、私はすごく分かる気がするのです。

 

 

トランプ大統領は、130年ぶりにファースト・ペットを置かない大統領だそうですが、裏表の一切ない、純粋そのものの動物たちに癒される必要をしないということであれば、「人間が信じられない」というストレスのないタフな人格なのか、あるいは家族の結束が強いので、ペットに頼らなくてもいいということなのか?

 

いずれにしても、象牙の輸入解禁措置を取るなど、動物に優しくない人物であることは伺われるのですが、Twitterがストレス解消なのでしょうか。

 

そのTwitterで、オバマ前大統領ご夫妻が、バーバラ・ブッシュ元大統領夫人の訃報に接しての公式コメントを出していたのですが、とても心に響きました。

 

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公のために奉仕するという仕事が“noble calling”(高貴な天命)であるという箇所は、アメリカ留学後に私が政治の政界に飛び込んだのは、“public good”のために働きたいという志を持っていたことを思い出し、その仕事に誇りを持って取り組むことの大切さを思い出させてくれるものでした。

 

アメリカでも日本でも、政治といえば「何か汚いことをしている」というイメージであり、そういう目で見られることが多いので、特に自分が何か悪いことはしていなくても、自分の働いている組織(自民党)が進めてきた政策が国民の幸せのためにはなっていないということが分かっているので、自分の仕事に100%誇りを持つことが私はできなかったのです。

 

だけど中には、public goodのために働いている少数の人たちがいるのを知っているから、このオバマさんのコメントをリトリートするとき、私はこう書きました。 

 

 

「元大統領夫人に対してだけじゃなく、public goodのために誠心誠意働いているすべての人にも読んでもらいたい、美しいコメントだと思う。これを読んだら、公に奉仕するという“天命”に呼ばれる人がいるかも」(さくら訳)

 

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」でも、民主主義を守るために、権力におもねるのか、あるいは統治される側(the governed)の利益を守るのかという、ジャーナリストの、そして公人の良心の在り処を問うセリフがあった。

 

永田町勤務時代、3年余の野党時代以外、ほぼずっと権力側にいた私には、そのことばが胸の奥にしまっていた志に突き刺さり、痛かった。

 

あの頃の私は、「全体=国家」を守るためにという前提があまりにも当たり前過ぎて、“the govered”の気持ちに立って物事を考えていただろうかと。

 

公人は、自分のためにその権力を使うことはもとより、権力濫用が疑われるようなことがあってはならないというのが矜持であった。

 

過去形で書かないといけないのかというのが悲しいけど、“プロ市民”といわれるような、色の付いた市民活動家たち主導ではなく(与党側からみると、こういう人たちが入っているだけで、その主張に理があるかどうか以前に、“胡散臭い”と判断しがち)、本当に普通の人たちが10万人くらい、しかも平日に国会議事堂の前に集ったら、さすがに「これは何事か」と焦るのではと思う。

 

もし、本当のことを言ったら逮捕される恐れがあり、それでも真実を貫く覚悟があるか?

 

公人だけではなく、統治される側(=“the governed”)の矜持と良識にも問いかける、いい映画だった。

 

権力や権威それ自体に力があるのではなく、それらに「力がある」と信じている大多数の人たちの意識が変われば、世の中はガラッと変わる。

 

“the governed”からの脱却は、力を与えているのは自分たちであり、その「力」は自の中にある思いだすことからだと思うのです。

 

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